「Circuit世界の砂場から」取り置き予約開始について

去年も同じような時期にお知らせをしました。

詳しくは去年のブログを読んでもらえるとたぶん事足りると思うけれど・・。

http://sunabarhythm.hatenablog.com/entry/2015/11/02/224743

 

決めるまでずっと悩んでましたが、、

11月20日に開催する「Circuit世界の砂場から」について

今年もオフィシャルや各バンドで取り置き予約を開始することにしました。

 

取り置きについては一長一短あって、

お客さんが気軽に予約できるから楽というメリットがある反面

特にサーキット形式のイベントとしては色々と課題もあります。

規模が大きくなる中でも、名前の書き漏れ等のミスがあってはいけないし、

お金のやり取りも当日になるので管理など運営の煩雑さが増すことがひとつ。

ほかにも、取り置きしたけど来ないって人が多かったりすると、

売り切れになったのに実はまだ受け入れ出来て、

来たかった人がこれなかったっていうこともありえます。

そしてもうひとつ大事なこと。前もってプレイガイドで

チケットを買ってくれた人たちは幾らかの手数料がかかってます。

確実に押さえられるとはいえ同じイベントなのに料金が違うのは

自分としても心苦しい以外の何物でもないです。。

 

だから本当に迷いました。手数料分を返金対応してはどうか、

とも考えましたが現状はやっぱり厳しかった。。

だから、最後にはこの最高な日を一人でも多くの人に

届けたいという気持ちにゆだねて踏み切ることにしました。

せめて全ての人達が余裕で元とれたって思ってもらえる

ハッピーな日にすることで応えたいとおもいます。

 

あと一年目はこんなこと思ってなかったけれど、二年目になって、

三年目に続けるために今年を成功させたいという気持ちが大きくなりました。

 

今年は去年よりいろんなことがスムーズに進みました。

経験していることというのは思った以上に大きな力で、

ブッキングも一か月くらい早くすすめることができたし、

共感・応援してくれるひとたちも多くなった。

僕のところまで届く声だけで、確実に去年より大きな反響を感じてます。

だから、去年に輪をかけて素敵な日にできる準備は整っていて、

あとは当日を迎えるだけです。

 

だから今年をぜったい大成功させて、

出てくれる出演者の皆から最高の日だったって言ってもらいたいです。

遊びに来てくれたお客さん達から来年も来たいって言ってもらいたいです。

 

去年があったから今年を進めることができました。

だから来年も今年があったからって言えるようにしたいです。

 

今年は11月20日、日曜日。

ことしもこの場所で一緒に幸せな時間を作れたらうれしいです。

 

 

砂場 ミヤザキナツキ

遠泳する延命

家族構成は父・母・弟・自分の4人家族。

ペットはいない。猫も犬も飼ったことはない。

小鳥がいたことがあるけど、猫に襲われた現場を目撃して以来若干のトラウマ。

 

滋賀の親戚のうちでは母方の祖母が暮らしている。

昔は熊本に家があったけれど、叔父が呼び寄せたと聞いてる。

高齢になってからエジプトに一人旅に行くような、地元の大学に通いだすような

生命力に満ち溢れた人だった。そのエネルギーで周囲を巻き込んでいく人だった。

こないだ従兄弟の結婚式で久しぶりに会ったけれど

そのおばあちゃんにも等しく確実な時間が流れ出していた。

まだ元気だけれど少しづつ頼りなくなって、エネルギーも乏しくなって。

やっぱり少しづつ変わっていく。

 

新潟の実家には父方の祖母がいる。

ずいぶんまえに交通事故にあってから足が不自由になって

おじいちゃんもなくなってしまって認知症が進行して

数年前に施設に入った。いまはもう僕の名前も知らない。

両親は時々海外へ行く。

こないだ、しばらく留守をするからもしもの時は僕たち兄弟に任せる

という連絡があった。食が細くなっていて、もう死期が遠くはないらしい。

 

おじいちゃんはどちらも亡くなっているから

身内の死、という経験がないわけじゃないけれど

最近は、死ぬことへの価値観も変わったから感じることが違う。

 

長生きは今も昔も良い事だと考えられてる。

ぼくだって家族には少しでも長く無事に生きてもらいたい。

だけど、そういう人の願いに呼応して医療は進歩しすぎたと思う。

人が長く生きるのが当たり前になってしまった。

これくらいが普通と解っていたら、あきらめもつくのに

その普通がどんどんと長くなってしまうから、

少しでも長くと、生きる方向へと人を泳がせる。

泳ぐほうも、これが普通だからと疑問もなく泳ぐ。

まわりもそれが普通だからと声援を送る。

 

不老不死なんて言葉が少年漫画の定番になるくらいだからね、

根本的に人は生きることへの執着がある。そして死ぬことへの恐怖。

 

ぼくはやっぱり手頃に死にたいと思う。

苦しまなくていけるなら、ボタンひとつで

リセットボタンを押すみたいに。

でもほんとうは、次の生き方なんてなくても別に良いんだ。

わたしのことはきらいになっても

僕の音楽が好きだといってくれる人が僕を好きとは限らない。

悲しいことかもしれないけれど、音楽を作る立場としては

それはそれでいいことかもしれないとおもう。

 

音楽を続けていると、いろんなひとと出会う。

僕の音楽を好きになってくれる人、そうじゃない人。

ライブが良かったっていってくれる人でも、また聴きに来てくれる人もいれば、

その次はない人もいるし、やっぱりいろいろな環境の変化もあるだろうし、

理由だとか心情だとか、人の気持ちは時間の流れとともに変わってしまう。

 

なにより音楽自体に形がないし、感情移入する器がとても不安定だ。

 

それなのに、僕はそんな人たちの存在や言葉一つ一つで一喜一憂してしまう。

だから、やっぱり表現する側には向いてないのかもしれない。

特にSNSとか、望まない情報に振り回される洗濯機みたいな場所だと思うし。

 

そもそも評価してほしいものってなんだろう、と考えてみる。

やっぱり音楽で表現しているから、純粋にこの音楽が評価されてほしい。

僕がいい人か悪い人かとか、親しみやすいとかそうじゃないとか、じゃなくて。

もちろん人には嫌われるより好かれたいよ。

たとえば、誰かが話しかけてくれるのは嫌なことじゃないし、

むしろ話しかけてくれてありがとうって気持ちはある。とてもある。

でも、僕が子どものころに憧れた有名なバンドとかって

その人がどういう人かとかぜんぜん関係ないところで好きになってた。

音楽を聴いて、その歌はどんなひとが作っているんだろうって考えたりして

でも、その先で深く知りたいとかは思わなかったはずなんだよな。。

届けてくれる音楽がかっこよければそれでよかった。

 

前提として矛盾したことを言ってる。

音楽を通じて人に好意的にみてもらえるのはうれしいこと。

でも、その好意が音楽の価値を高めているのだとしたら

ちょっと悔しいような気持ちもある。

 

だけど見る角度を変えたら見え方が変わる。

僕もバンドを始めて長くなってきて、知り合って好きになる音楽が増えた。

自分でも、やっぱり心の内を歌っているし、

やっぱり人間を知ることって、大切なのかもしれない。

よく考えたら、その人がどういう人だろうって調べたり

雑誌の対談を読んでみたりすることもあるもんな。

 

何より、寄せてもらえる言葉でまだ音楽続けられるって思う僕自身がいる。

自問自答して、結局ぐるぐる回る洗濯機みたいな日記だった。

解けて散るってさ

3/21にピラモールというバンドの解散企画に出演することになった。

砂場ではなくて、時々一緒にやっている里帰りのゆりさんとのデュオで。

ゆりさん繋がりだから、正直に言えば僕は彼らの名前しか知らなかった。

毎日のようにどこからか回ってくるツイッターのライブ告知リツイートに

名前が載っていて知っていたレベルだから、個人的には申し訳なさもあるけれど

この二人での出演に期待してくれてのオファーなので

ぜひ精一杯を尽くしたいと思う。

 

先週、東京でこのライブに向けてスタジオ入りした後、せっかくだからと

同バンドのベーシストである浅野シンイチくん(仮名)と

一緒に飲むことになった。ちなみにこの人も名前だけずっと知ってた。

名前だけ知ってるって、ぜんぜん知らないことをごまかすとき

よく使われるけれど、、本当に名前だけ知ってた。

口にピアスをあけた人という事前情報だったから、

すこしばかりの警戒心を帯びて対面したのだけれど、

とても友好的な人だった。そしてとても良い人だった。

バンドに対しての想いがあって、自分ができることをやろうとしていて

ボーカルを支えたいと思って、とかそんな話を聞いて

立派な子だ・・としみじみした。それでも解散しちゃうんだけど。。

砂場はほとんどを僕一人が動かしているから、

聞いていてやっぱりぜんぜん違うんだなって思った。

 

バンドって本当に国だと思う、ものすごく単位の小さな。

国が違うと文化がぜんぜん違うもんな。

豚肉食べないレベルのカルチャーショックとかザラだもんな・・。

普通他のバンドへの問い合わせメールとかなにかしら返信あってもいいのに

完全無視とかほんとあるもんな・・。あ、話し逸れた。

紹介状ないと治療してくれない病院みたい・・。あ、また逸れた。

スリマの風間君に話したら「みんな忙しいから仕方ない」って

言われて、そのときはなんて冷たいことをいうやつなんだって憤慨したけど

今考えると、ものすごい正論とわかる。不本意に国際理解力が向上している。

・・もう本題から逸れて軌道修正が難しくなってきた。

 

ともあれ、シンイチ君(仮名)はとても良い人だったから、

また音楽を続けられるバンドが見つかってくれるといいなと思った。

 

解散ライブって言えばそのバンドにとって最後のライブ。

やっぱり最後はって観に来てくれるお客さんも多いんだろうな。

そして少しだけ聞いたけど、この日の予約もすでにかなり入ってるらしい。

素直に羨ましいなと思った。足を運ぶ人がそれだけいるってことは、

それだけ寄せてもらえる想いがあるってことだから。

 

バンドはいつか解散する。

前に僕は、解散ライブはやりたくないって言ってた。

お世辞にも毎回のライブにそんな沢山のお客さんが来てくれるってわけじゃない。

そんな自分の音楽が、最後しか観てもらえないとしたら、存在価値なんて

あるんだろうかってそんな風に考えてしまうのが嫌だったから。 

でも、やっぱり最後くらい観てほしいって気持ちもほんとうは解るんだ。

たぶんSNSで解散って書いて拡散させて、関係ない人まで巻き込んで

気を惹こうとするのが好きになれないんだ。

たぶん解散ライブが嫌いなんじゃなくて、

こういうときのSNSが嫌いなんだとおもう。

想いを寄せてくれる人にだけちゃんと届けば、たぶんそれでいいんだから。

 

 

解散ライブはやらないなんて言ってる本当の理由、それは単に怖いからだ。

自分に突きつけてしまう現実があることが。

でも、これは何よりもまだ続けていたいって心の顕れでもある。

抗って、なんとか生き延びたいって気持ちなんだと思う。

 

www.youtube.com

自分は幸せ者だって誤魔化す為に生きている

そんなの考え過ぎだって 言い聞かせても鳴り止まない

他人と比べてどうだとか 今居る場所は何処だとか

そんなの考えすぎるから 時間ばっかりが過ぎてゆくんだな

 

誰かの必要不可欠になれたらそれは素晴らしい

でもやっぱり辛くなるから 居ても居なくても同じでいい

他人と比べてどうだとか 「生きてく理由とは?」だとか

そんなのどうだっていいのに 目の前の君が笑えたらいいのに

 

言葉にすれば形になる うまく言えない想いさえも

窓辺に並べて飾ったら 夜明けを待たずに溶けてしまう

 

「自分は幸せ者だって 気づけないことが不幸せ」

わかるよそれは本当にそう でもやっぱり響かないんだ

自分を否定することで 想い寄せてくれる人も

だんだん疲れてゆくことに 離れてしまうまで気づけないんだな

 

言葉にすれば形になる うまく言えない想いさえも

窓辺に並べて飾ったら 夜明けを待たずに溶けてしまう

君の願いも知れないまま