としのせ

2015年最後の日。最後だからって何かするわけじゃないけど。

昨日のザーザズーのライブで、今年のライブ活動は終わり。

名古屋から浜松、静岡、そして東京へと歌って巡るツアーだった。

今まであまりこんな行程を組んだことなかったんだけれど、

毎日違う土地に身を置いて、そこで集まる人たちに向かって

歌わせてもらえるということはとても素敵なことだとおもった。

なんというか、生きている心地がした。

ひとりで、というのも今年は気楽で良かった。

  

音楽を続けてきてもうずいぶん長くなるけれど、

今年は一番良い年だったと思える。

それは寄せてもらえた声だったり、込めてもらえた想いだったり、

そういう受け取らせてもらった感情の総量みたいなものから。

 

音楽に形はないから、どんなに全力を尽くしても

それが価値のあるものなのかどうか、手にとって確かめることはできない。

でも、僕が歌う「僕の歌」を言葉だったり、ときには涙だったり、

CDを買ってもらったり、目に見える形で肯定をしてもらえることで

浮き彫りみたいに存在をはじめること。それがどうしようもなくうれしい。

ぼくの歌がそこに存在することは、ぼくにとってはもう

自分自身がそこに在ることと同じ意味みたいだ。

 

たぶん、やっている音楽がそんなに大きく変わったわけじゃないし

ずっと一生懸命やってきたということも変わらない。

だけど、歌に含ませることができるようになった

感情の量みたいなものはたぶん大きく変わった。

それはステージに立って表現することへの覚悟とか、

そういうものだったりするのかもしれない。

 

いつ死んでもいいと思えている。もちろん苦しみたくはないけれど。

たぶんこれまで漠然としていた終わりを

もうちょっと明確にイメージするようになったから、

生きているうちに生きている限りを尽くそうという気持ちが大きくなった。

 

3月に名古屋でワンマン、11月にサーキットフェスを開催して

バンドとしても節目となる初年だった。

全部自分発信でいろいろなことを動かすのは本当にしんどいし

だれか代わりにやってくれるなら絶対そのほうがいいと思うし

普通バンドはそういう風にやるのが正しいんだと思うけれど、

でもぼくはそれをやらない。

極言すると意地っていうことなんだとおもう。

不器用だからやれないだけなんだろうけど。。

たぶん逆切れみたいな気持ちが原動力になって動いている。

(誰に対してってことじゃないんだけどイメージで)

 

ここまで書いて気づいた。

ああ、音楽にくべる燃料が変わったんだろうなって思った。

たぶん自分の命だねこれ。

 

いつまでつづくかほんとうにわからない。

のうのうと何年も続いているのかもしれない。

でも、来月くらいになくなっているのかもしれない。

たぶん前触れなんてない。しいて言うならずっと前からもうそれだ。

 

来年も風前の灯火を続ける。願わくば最長記録を更新し続けたい。

 

長くここまで読んでくれてありがとう。

最後にっていうか、書き出して最初に言いたかったこと。

今年一年、ほんとうにありがとうございました。

続けていられるのは、まちがいなく続けていることを

肯定してくれるひとたちの存在あってのこと。

 

来年もがんばります。

来年はきっとCD出します。

 

今年よりきっとしあわせになりましょうね。

また会えたらうれしいです。