遠泳する延命

家族構成は父・母・弟・自分の4人家族。

ペットはいない。猫も犬も飼ったことはない。

小鳥がいたことがあるけど、猫に襲われた現場を目撃して以来若干のトラウマ。

 

滋賀の親戚のうちでは母方の祖母が暮らしている。

昔は熊本に家があったけれど、叔父が呼び寄せたと聞いてる。

高齢になってからエジプトに一人旅に行くような、地元の大学に通いだすような

生命力に満ち溢れた人だった。そのエネルギーで周囲を巻き込んでいく人だった。

こないだ従兄弟の結婚式で久しぶりに会ったけれど

そのおばあちゃんにも等しく確実な時間が流れ出していた。

まだ元気だけれど少しづつ頼りなくなって、エネルギーも乏しくなって。

やっぱり少しづつ変わっていく。

 

新潟の実家には父方の祖母がいる。

ずいぶんまえに交通事故にあってから足が不自由になって

おじいちゃんもなくなってしまって認知症が進行して

数年前に施設に入った。いまはもう僕の名前も知らない。

両親は時々海外へ行く。

こないだ、しばらく留守をするからもしもの時は僕たち兄弟に任せる

という連絡があった。食が細くなっていて、もう死期が遠くはないらしい。

 

おじいちゃんはどちらも亡くなっているから

身内の死、という経験がないわけじゃないけれど

最近は、死ぬことへの価値観も変わったから感じることが違う。

 

長生きは今も昔も良い事だと考えられてる。

ぼくだって家族には少しでも長く無事に生きてもらいたい。

だけど、そういう人の願いに呼応して医療は進歩しすぎたと思う。

人が長く生きるのが当たり前になってしまった。

これくらいが普通と解っていたら、あきらめもつくのに

その普通がどんどんと長くなってしまうから、

少しでも長くと、生きる方向へと人を泳がせる。

泳ぐほうも、これが普通だからと疑問もなく泳ぐ。

まわりもそれが普通だからと声援を送る。

 

不老不死なんて言葉が少年漫画の定番になるくらいだからね、

根本的に人は生きることへの執着がある。そして死ぬことへの恐怖。

 

ぼくはやっぱり手頃に死にたいと思う。

苦しまなくていけるなら、ボタンひとつで

リセットボタンを押すみたいに。

でもほんとうは、次の生き方なんてなくても別に良いんだ。