新年関係ない。信念ならちょっと関係ある。
たとえばのはなし。
プラスの100を得るために70のマイナスを被らなくてはいけないとして。
もしプラスマイナスでっていう考え方をすればプラス30だから、
結果的にはOKということ。とてもポジティブ。
でもこれ、本当に自己完結できる・・?
少なくとも僕にとっては確実に70のダメージが其処に残る。
100もらっても。
うれしいこと、それはそれだし。かなしいこと、これはこれだ。
どんなことでもいいけれど、行動する目的はいくらかのプラスを得ることだ。
純粋なプラスでも、何かしらマイナスの回避でも、
人との枠の中で作用するのなら、必ずその方向への期待がある。
何かをするごとに誰かに何らかの形で作用している。
だけど、誰かと関われば、誰かと距離が近づけば、
そこには必ず摩擦が生まれる。
どこからみても完璧な人間なんていない、
そんなことはとうにわかってはいるけれど。
摩擦係数0のひとなんていない。
そんなことだってわかってる。
たとえばだれかに70嫌われたとする。でも100好きになってもらえるなら
それはほんとうにプラスの30だろうか。
きっとこころに体力がないんだ。たぶん3くらいしかない。
だから70も食らったら死んでしまうよ。
いや、どうせ死なない。からだの体力じゃないから。
でも、マイナスはほしくない。だからプラスもなくていい。
いっそはじめから何もなければいい。少なくとも0のままでいられる。
ひととおりを吐き出して。でもこれは矛盾している。
僕はまだうたを歌っている。歌う場所をつくっている。
こんなに傷つきたくないなどと考えながら
まだ自分から人に働きかけようとしている。関わろうとしている。
結局、利己的な思考の塊みたいなものが勝手に
頭の中を区画整理をしてしまってすべて丸く治めようとしている。
また繰り返す。
うれしいこと、それはそれ。かなしいこと、これはこれ。
最終的に出口は無い。
たぶん何を言われてもこの考え方はどうせ変わらない。
向き合うしかない。死ぬまではどうせ生きてしまうのだから。
ヒーリングミュージック。