サーキットの跡。


記録も記憶も、鮮度が大事って本当にそうだ。
まだ終わって数日しか経っていないのに、
もう素晴らしかったあの時間が確実な過去になってる。

2016年11月20日の日曜日。
「CIRCUIT世界の砂場から'16」
は、確かに開催されました。
確かに来てくれたみんな、確かに出演してくれたみんな、
関わってくれた全ての人達に、心からの感謝を。
本当にありがとうございました。

去年よりもかなり多くのお客さんに来てもらえて、
イベントとしても一年目より浸透できたのかなと思います。
相変わらず県外から来てくれるお客さんたちがとても多くて、
今年は関東、関西だけじゃなくて海を越える方(国内で)
も居てくださってありがたい限りでした。
 
でも、この日はそれだけこの場所にしかない空気、というか
いわゆる出演者名の羅列だけじゃないものが確かにあって、
遠くからでも来てもらう価値、出せていたんじゃないかなと思います。
行き交う人たちの楽しそうな顔とか、フード出店界隈では
座ってご飯食べながら休憩してる人達のチルアウトな雰囲気とか。
思い返しても一日中幸せな空気が確かにあったように思います。
 
受付のビオでまず最初に出会うのがie goricoのゴリさんだったから、
あの豪快な笑顔に迎えてもらえて安心感あった人も多かったと思う。
パルルで本格営業のバテリアも酒飲みが集って楽しそうだったし、
DJのSH!ROくんがなんでこのフェスこんなに飯が美味いんすかって僕に
聞いてきてたけど、やっぱり美味しいご飯がある音楽フェスは
素晴らしいよね。。僕が美味しいもの好きな酒飲みでよかった。
(スリマと行く時に選ぶとなんで不評な店ばっかりなんだろう。)
 
そして、今年も当日を支えてくれたスタッフの力は大きくて。
去年に引き続きまとめ役で手を貸してくれたゴーダ君を中心に
去年のメンバーに加えて今年新しく募ったボランティア4名。
僕は例のごとく24時間マラソンみたいにぐるぐる回っていて、
自分の出演もあるから正直何もできない状態になっていたけど
大きな事故がなく終えることができたのは、気配り目配りしながら
サーキット会場を守ってくれていたこの人たちのおかげでした。
 
夕方くらいに一度死にかけの顔してたみたいで、受付で
強制退場をもらったんだけど、あの時休んでなかったら
本当に最後のステージ駄目にしてただろうなってくらい
いろんなことに余裕がなかった。
(それで自分の出演の絡み以外でひろたうたくんだけ観れなかったごめん・・)
正直なところ、この日のサーキットとは別の話で色々と
精神的に安定できない事が多かったから、そういうところでも
助けてもらったという部分が大きかったな。。
ライブハウスは元気をもらえる場所だけど、心も身体もある程度
資本になる元気がないとダメなんだなって改めて思った。
ライブでもらえるエネルギーはきっと足し算じゃなくて掛け算で。
ライフ1未満で掛け算するとかえって減っちゃうこともあるってこと。
 
そんな中でも観て回れた出演の皆はどこ切り取っても良いライブをしてた。
僕が声をかけたひとたちだから当たり前だと思ってたけど、
それがほんとうに当たり前だったから嬉しかったな。
ライブ以外でも会場を回って楽しんでくれてる姿も嬉しかったし。

今回出演してくれた人たちとの関係性は当然のこと濃淡があって、
元々つながりがあったところも、そうじゃないところもあるし、
距離の近い人もいれば、遠い人もいる。
仲良くなれそうな人も、むつかしそうな人だって。
 
でも、その全員と僕は音楽っていう共通項があって、
この日それで音楽仲間として繋がれた、それは確かだった。
このサーキットをきっかけに砂場を好きになってくれた人もいて、
やっぱり僕も、音楽も認めてもらって繋がりたかったから

それはとても嬉しかった。

やってよかったって確かに思えた、その大きなひとつ。

たぶんこの日のなかで一番長く、たぶん僕の音楽を
応援し続けてくれているスリマの風間君。
毎年僕にダメージを与えるMCを使命に感じているらしく
案の定この日も余計なことを言いやがってくれてたんだけど、
どこまでやったら僕が怒るかその限界を探ってるみたいなことを言ってた。
実際、僕だって怒らないわけじゃないし情のない対応は辛い。
だけどまああのひとが考えてのことだから、と考えると
最終的には任せていいって思えてしまう。死んだら怒るけどね。
本気で傷つけようとしてるなら、きっとそれもわかるだろうから。

友達だから、力になれる迷惑ならかけてほしいと思う。困ってるなら。

だから自分自身、無力じゃないって思えるようになりたい。
いつだって自分にも価値があるって思えるようになりたい。

このサーキット企画開催のきっかけも、根っこの部分まで掘り下げると
僕の音楽が無力じゃないこと、価値があることを証明したい、という所に辿り着く。
沢山の人たちに「観て」もらえる機会、無いなら自分で作るしかないって考え方。
とっても利己的で自分勝手。だけど音楽やってるからこれは当然だとも思っていて。
 
だから「素敵な音楽を知ってほしい」とかそういうのはその次。
やっぱり僕はイベンターじゃなくてバンドマンだから。
自分の音楽が大したことないってそんな程度でバンドをやっていたら
こんなことを企画するなんて、考えもしなかったと思う。


あとは、僕がなにも考えなしにやる馬鹿だからやれたんだと思うな。
こんな大掛かりなイベント、あれこれリスクとか考えて躊躇してたら、
一人きりで始めることなんて出来なかっただろうから。
よく考えずに衝動のままに動いてみたら、結果的に力を貸してくれる人たちが
集まってくれて、これだけ大きな形にすることができた。


自分の知る限り最高の音楽を集めたこの一日、"最高"が音楽に溢れてた。
全員ライバルで、でも、全員と繋がれたってそういう感覚があの日にはあった。
(なんかこの表現青春っぽくて嫌だけど・・・)

だからつまり、僕は人に恵まれていたってことだとおもう。
こんなこと、 言葉にした途端に心配になってしまうんだけれど。

来年もやれるかどうか、それは正直まだわからない。
だってめちゃくちゃに疲れた。思い出すだけで気持ち悪くなる。。
だけど不思議と、またやれるって思えるようになりたいとも思っていて。
だから端的に、自分の音楽がもっと伝わるようになればと思います。
そうしたら、もっと自信もってやれると思う。
まずは、来年リリースのアルバムでちゃんと反響もらう。それが目標。
1月22日の名古屋TOKUZOワンマンから販売開始します。
そしてそこからいくつかツアーを回ります。

次のサーキットまで一年おきの高跳びじゃちょっと辛いから、
覗きに来てくれたらうれしいなと思っています。
点と点、つなげるみたいに。
 
今年もありがとうございました。
バンドマンとしての僕を、これからもよろしくお願いします。

砂場 ミヤザキナツキ

「Circuit世界の砂場から」取り置き予約開始について

去年も同じような時期にお知らせをしました。

詳しくは去年のブログを読んでもらえるとたぶん事足りると思うけれど・・。

http://sunabarhythm.hatenablog.com/entry/2015/11/02/224743

 

決めるまでずっと悩んでましたが、、

11月20日に開催する「Circuit世界の砂場から」について

今年もオフィシャルや各バンドで取り置き予約を開始することにしました。

 

取り置きについては一長一短あって、

お客さんが気軽に予約できるから楽というメリットがある反面

特にサーキット形式のイベントとしては色々と課題もあります。

規模が大きくなる中でも、名前の書き漏れ等のミスがあってはいけないし、

お金のやり取りも当日になるので管理など運営の煩雑さが増すことがひとつ。

ほかにも、取り置きしたけど来ないって人が多かったりすると、

売り切れになったのに実はまだ受け入れ出来て、

来たかった人がこれなかったっていうこともありえます。

そしてもうひとつ大事なこと。前もってプレイガイドで

チケットを買ってくれた人たちは幾らかの手数料がかかってます。

確実に押さえられるとはいえ同じイベントなのに料金が違うのは

自分としても心苦しい以外の何物でもないです。。

 

だから本当に迷いました。手数料分を返金対応してはどうか、

とも考えましたが現状はやっぱり厳しかった。。

だから、最後にはこの最高な日を一人でも多くの人に

届けたいという気持ちにゆだねて踏み切ることにしました。

せめて全ての人達が余裕で元とれたって思ってもらえる

ハッピーな日にすることで応えたいとおもいます。

 

あと一年目はこんなこと思ってなかったけれど、二年目になって、

三年目に続けるために今年を成功させたいという気持ちが大きくなりました。

 

今年は去年よりいろんなことがスムーズに進みました。

経験していることというのは思った以上に大きな力で、

ブッキングも一か月くらい早くすすめることができたし、

共感・応援してくれるひとたちも多くなった。

僕のところまで届く声だけで、確実に去年より大きな反響を感じてます。

だから、去年に輪をかけて素敵な日にできる準備は整っていて、

あとは当日を迎えるだけです。

 

だから今年をぜったい大成功させて、

出てくれる出演者の皆から最高の日だったって言ってもらいたいです。

遊びに来てくれたお客さん達から来年も来たいって言ってもらいたいです。

 

去年があったから今年を進めることができました。

だから来年も今年があったからって言えるようにしたいです。

 

今年は11月20日、日曜日。

ことしもこの場所で一緒に幸せな時間を作れたらうれしいです。

 

 

砂場 ミヤザキナツキ

遠泳する延命

家族構成は父・母・弟・自分の4人家族。

ペットはいない。猫も犬も飼ったことはない。

小鳥がいたことがあるけど、猫に襲われた現場を目撃して以来若干のトラウマ。

 

滋賀の親戚のうちでは母方の祖母が暮らしている。

昔は熊本に家があったけれど、叔父が呼び寄せたと聞いてる。

高齢になってからエジプトに一人旅に行くような、地元の大学に通いだすような

生命力に満ち溢れた人だった。そのエネルギーで周囲を巻き込んでいく人だった。

こないだ従兄弟の結婚式で久しぶりに会ったけれど

そのおばあちゃんにも等しく確実な時間が流れ出していた。

まだ元気だけれど少しづつ頼りなくなって、エネルギーも乏しくなって。

やっぱり少しづつ変わっていく。

 

新潟の実家には父方の祖母がいる。

ずいぶんまえに交通事故にあってから足が不自由になって

おじいちゃんもなくなってしまって認知症が進行して

数年前に施設に入った。いまはもう僕の名前も知らない。

両親は時々海外へ行く。

こないだ、しばらく留守をするからもしもの時は僕たち兄弟に任せる

という連絡があった。食が細くなっていて、もう死期が遠くはないらしい。

 

おじいちゃんはどちらも亡くなっているから

身内の死、という経験がないわけじゃないけれど

最近は、死ぬことへの価値観も変わったから感じることが違う。

 

長生きは今も昔も良い事だと考えられてる。

ぼくだって家族には少しでも長く無事に生きてもらいたい。

だけど、そういう人の願いに呼応して医療は進歩しすぎたと思う。

人が長く生きるのが当たり前になってしまった。

これくらいが普通と解っていたら、あきらめもつくのに

その普通がどんどんと長くなってしまうから、

少しでも長くと、生きる方向へと人を泳がせる。

泳ぐほうも、これが普通だからと疑問もなく泳ぐ。

まわりもそれが普通だからと声援を送る。

 

不老不死なんて言葉が少年漫画の定番になるくらいだからね、

根本的に人は生きることへの執着がある。そして死ぬことへの恐怖。

 

ぼくはやっぱり手頃に死にたいと思う。

苦しまなくていけるなら、ボタンひとつで

リセットボタンを押すみたいに。

でもほんとうは、次の生き方なんてなくても別に良いんだ。

わたしのことはきらいになっても

僕の音楽が好きだといってくれる人が僕を好きとは限らない。

悲しいことかもしれないけれど、音楽を作る立場としては

それはそれでいいことかもしれないとおもう。

 

音楽を続けていると、いろんなひとと出会う。

僕の音楽を好きになってくれる人、そうじゃない人。

ライブが良かったっていってくれる人でも、また聴きに来てくれる人もいれば、

その次はない人もいるし、やっぱりいろいろな環境の変化もあるだろうし、

理由だとか心情だとか、人の気持ちは時間の流れとともに変わってしまう。

 

なにより音楽自体に形がないし、感情移入する器がとても不安定だ。

 

それなのに、僕はそんな人たちの存在や言葉一つ一つで一喜一憂してしまう。

だから、やっぱり表現する側には向いてないのかもしれない。

特にSNSとか、望まない情報に振り回される洗濯機みたいな場所だと思うし。

 

そもそも評価してほしいものってなんだろう、と考えてみる。

やっぱり音楽で表現しているから、純粋にこの音楽が評価されてほしい。

僕がいい人か悪い人かとか、親しみやすいとかそうじゃないとか、じゃなくて。

もちろん人には嫌われるより好かれたいよ。

たとえば、誰かが話しかけてくれるのは嫌なことじゃないし、

むしろ話しかけてくれてありがとうって気持ちはある。とてもある。

でも、僕が子どものころに憧れた有名なバンドとかって

その人がどういう人かとかぜんぜん関係ないところで好きになってた。

音楽を聴いて、その歌はどんなひとが作っているんだろうって考えたりして

でも、その先で深く知りたいとかは思わなかったはずなんだよな。。

届けてくれる音楽がかっこよければそれでよかった。

 

前提として矛盾したことを言ってる。

音楽を通じて人に好意的にみてもらえるのはうれしいこと。

でも、その好意が音楽の価値を高めているのだとしたら

ちょっと悔しいような気持ちもある。

 

だけど見る角度を変えたら見え方が変わる。

僕もバンドを始めて長くなってきて、知り合って好きになる音楽が増えた。

自分でも、やっぱり心の内を歌っているし、

やっぱり人間を知ることって、大切なのかもしれない。

よく考えたら、その人がどういう人だろうって調べたり

雑誌の対談を読んでみたりすることもあるもんな。

 

何より、寄せてもらえる言葉でまだ音楽続けられるって思う僕自身がいる。

自問自答して、結局ぐるぐる回る洗濯機みたいな日記だった。

解けて散るってさ

3/21にピラモールというバンドの解散企画に出演することになった。

砂場ではなくて、時々一緒にやっている里帰りのゆりさんとのデュオで。

ゆりさん繋がりだから、正直に言えば僕は彼らの名前しか知らなかった。

毎日のようにどこからか回ってくるツイッターのライブ告知リツイートに

名前が載っていて知っていたレベルだから、個人的には申し訳なさもあるけれど

この二人での出演に期待してくれてのオファーなので

ぜひ精一杯を尽くしたいと思う。

 

先週、東京でこのライブに向けてスタジオ入りした後、せっかくだからと

同バンドのベーシストである浅野シンイチくん(仮名)と

一緒に飲むことになった。ちなみにこの人も名前だけずっと知ってた。

名前だけ知ってるって、ぜんぜん知らないことをごまかすとき

よく使われるけれど、、本当に名前だけ知ってた。

口にピアスをあけた人という事前情報だったから、

すこしばかりの警戒心を帯びて対面したのだけれど、

とても友好的な人だった。そしてとても良い人だった。

バンドに対しての想いがあって、自分ができることをやろうとしていて

ボーカルを支えたいと思って、とかそんな話を聞いて

立派な子だ・・としみじみした。それでも解散しちゃうんだけど。。

砂場はほとんどを僕一人が動かしているから、

聞いていてやっぱりぜんぜん違うんだなって思った。

 

バンドって本当に国だと思う、ものすごく単位の小さな。

国が違うと文化がぜんぜん違うもんな。

豚肉食べないレベルのカルチャーショックとかザラだもんな・・。

普通他のバンドへの問い合わせメールとかなにかしら返信あってもいいのに

完全無視とかほんとあるもんな・・。あ、話し逸れた。

紹介状ないと治療してくれない病院みたい・・。あ、また逸れた。

スリマの風間君に話したら「みんな忙しいから仕方ない」って

言われて、そのときはなんて冷たいことをいうやつなんだって憤慨したけど

今考えると、ものすごい正論とわかる。不本意に国際理解力が向上している。

・・もう本題から逸れて軌道修正が難しくなってきた。

 

ともあれ、シンイチ君(仮名)はとても良い人だったから、

また音楽を続けられるバンドが見つかってくれるといいなと思った。

 

解散ライブって言えばそのバンドにとって最後のライブ。

やっぱり最後はって観に来てくれるお客さんも多いんだろうな。

そして少しだけ聞いたけど、この日の予約もすでにかなり入ってるらしい。

素直に羨ましいなと思った。足を運ぶ人がそれだけいるってことは、

それだけ寄せてもらえる想いがあるってことだから。

 

バンドはいつか解散する。

前に僕は、解散ライブはやりたくないって言ってた。

お世辞にも毎回のライブにそんな沢山のお客さんが来てくれるってわけじゃない。

そんな自分の音楽が、最後しか観てもらえないとしたら、存在価値なんて

あるんだろうかってそんな風に考えてしまうのが嫌だったから。 

でも、やっぱり最後くらい観てほしいって気持ちもほんとうは解るんだ。

たぶんSNSで解散って書いて拡散させて、関係ない人まで巻き込んで

気を惹こうとするのが好きになれないんだ。

たぶん解散ライブが嫌いなんじゃなくて、

こういうときのSNSが嫌いなんだとおもう。

想いを寄せてくれる人にだけちゃんと届けば、たぶんそれでいいんだから。

 

 

解散ライブはやらないなんて言ってる本当の理由、それは単に怖いからだ。

自分に突きつけてしまう現実があることが。

でも、これは何よりもまだ続けていたいって心の顕れでもある。

抗って、なんとか生き延びたいって気持ちなんだと思う。

 

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