新年関係ない。信念ならちょっと関係ある。

たとえばのはなし。

プラスの100を得るために70のマイナスを被らなくてはいけないとして。

もしプラスマイナスでっていう考え方をすればプラス30だから、

結果的にはOKということ。とてもポジティブ。 

でもこれ、本当に自己完結できる・・?

 

少なくとも僕にとっては確実に70のダメージが其処に残る。

100もらっても。

うれしいこと、それはそれだし。かなしいこと、これはこれだ。

 

どんなことでもいいけれど、行動する目的はいくらかのプラスを得ることだ。

純粋なプラスでも、何かしらマイナスの回避でも、

人との枠の中で作用するのなら、必ずその方向への期待がある。

 

何かをするごとに誰かに何らかの形で作用している。

だけど、誰かと関われば、誰かと距離が近づけば、

そこには必ず摩擦が生まれる。

どこからみても完璧な人間なんていない、

そんなことはとうにわかってはいるけれど。

摩擦係数0のひとなんていない。

そんなことだってわかってる。

 

たとえばだれかに70嫌われたとする。でも100好きになってもらえるなら

それはほんとうにプラスの30だろうか。

 

きっとこころに体力がないんだ。たぶん3くらいしかない。

だから70も食らったら死んでしまうよ。

いや、どうせ死なない。からだの体力じゃないから。

でも、マイナスはほしくない。だからプラスもなくていい。

いっそはじめから何もなければいい。少なくとも0のままでいられる。

 

ひととおりを吐き出して。でもこれは矛盾している。

僕はまだうたを歌っている。歌う場所をつくっている。

こんなに傷つきたくないなどと考えながら

まだ自分から人に働きかけようとしている。関わろうとしている。

 

結局、利己的な思考の塊みたいなものが勝手に

頭の中を区画整理をしてしまってすべて丸く治めようとしている。

また繰り返す。

うれしいこと、それはそれ。かなしいこと、これはこれ。

 

最終的に出口は無い。

たぶん何を言われてもこの考え方はどうせ変わらない。

向き合うしかない。死ぬまではどうせ生きてしまうのだから。

 

ヒーリングミュージック。

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としのせ

2015年最後の日。最後だからって何かするわけじゃないけど。

昨日のザーザズーのライブで、今年のライブ活動は終わり。

名古屋から浜松、静岡、そして東京へと歌って巡るツアーだった。

今まであまりこんな行程を組んだことなかったんだけれど、

毎日違う土地に身を置いて、そこで集まる人たちに向かって

歌わせてもらえるということはとても素敵なことだとおもった。

なんというか、生きている心地がした。

ひとりで、というのも今年は気楽で良かった。

  

音楽を続けてきてもうずいぶん長くなるけれど、

今年は一番良い年だったと思える。

それは寄せてもらえた声だったり、込めてもらえた想いだったり、

そういう受け取らせてもらった感情の総量みたいなものから。

 

音楽に形はないから、どんなに全力を尽くしても

それが価値のあるものなのかどうか、手にとって確かめることはできない。

でも、僕が歌う「僕の歌」を言葉だったり、ときには涙だったり、

CDを買ってもらったり、目に見える形で肯定をしてもらえることで

浮き彫りみたいに存在をはじめること。それがどうしようもなくうれしい。

ぼくの歌がそこに存在することは、ぼくにとってはもう

自分自身がそこに在ることと同じ意味みたいだ。

 

たぶん、やっている音楽がそんなに大きく変わったわけじゃないし

ずっと一生懸命やってきたということも変わらない。

だけど、歌に含ませることができるようになった

感情の量みたいなものはたぶん大きく変わった。

それはステージに立って表現することへの覚悟とか、

そういうものだったりするのかもしれない。

 

いつ死んでもいいと思えている。もちろん苦しみたくはないけれど。

たぶんこれまで漠然としていた終わりを

もうちょっと明確にイメージするようになったから、

生きているうちに生きている限りを尽くそうという気持ちが大きくなった。

 

3月に名古屋でワンマン、11月にサーキットフェスを開催して

バンドとしても節目となる初年だった。

全部自分発信でいろいろなことを動かすのは本当にしんどいし

だれか代わりにやってくれるなら絶対そのほうがいいと思うし

普通バンドはそういう風にやるのが正しいんだと思うけれど、

でもぼくはそれをやらない。

極言すると意地っていうことなんだとおもう。

不器用だからやれないだけなんだろうけど。。

たぶん逆切れみたいな気持ちが原動力になって動いている。

(誰に対してってことじゃないんだけどイメージで)

 

ここまで書いて気づいた。

ああ、音楽にくべる燃料が変わったんだろうなって思った。

たぶん自分の命だねこれ。

 

いつまでつづくかほんとうにわからない。

のうのうと何年も続いているのかもしれない。

でも、来月くらいになくなっているのかもしれない。

たぶん前触れなんてない。しいて言うならずっと前からもうそれだ。

 

来年も風前の灯火を続ける。願わくば最長記録を更新し続けたい。

 

長くここまで読んでくれてありがとう。

最後にっていうか、書き出して最初に言いたかったこと。

今年一年、ほんとうにありがとうございました。

続けていられるのは、まちがいなく続けていることを

肯定してくれるひとたちの存在あってのこと。

 

来年もがんばります。

来年はきっとCD出します。

 

今年よりきっとしあわせになりましょうね。

また会えたらうれしいです。

部屋

部屋

 

つまらない事ばかりが塗りつぶしてゆく

幼なごころで彩った水彩画の中

初めて出会った景色もやがて色褪せて

通り過ぎる

当たり前の事ばかりで埋め尽くしてゆく

君と僕の常識は違えていく

過ぎ去った季節は巡り また繰り返すのに

もう君は居ない

 

灯りをつけたままの部屋で

朝を迎えるのはもう何度目かな

降りかかる火の粉を避けて

辿り着いたのは またこの場所だな

 

明るくなってゆく空に 溜息溶かしていた

窓ガラスなぞって

降りかかる火の粉を避けて

辿り着いたのはまたこの場所だな

 

正解と不正解の境目にあった

真実みたいなものは 眠りに紛れて

曖昧な言葉遊びは綻びをはじめ

また今日が終わる

世界の砂場から、サーキットの跡。

2015年11月22日の日曜日

新栄4会場で開催した「Circuit世界の砂場から」は

たくさんの方々の協力を頂いて無事に終了しました。

 

ほんとうにありがとうございました。

 

やっぱりあっというまに過ぎてしまった一日。

本当に幸せだったし、本当にあったことなのか

それすらわからなくなるくらいに夢みたいな景色。

でも、あの日の光も熱も吸い込んだ空気も

なにもかもがまだ感覚としてしっかりと残っているから

紛れもない現実だったのだと、過日を繋ぎとめています。

 

気づいたら最初と最後、自分の出番が絡むところ以外は

全部の出演者を観て回っていて。

行き交うお客さんたちの楽しそうな顔とか、

方々で声をかけてくれる出演の皆の笑顔とか

パルル会場のie goricoはやっぱりいつものgoricoで

マラソンの給水場みたいだったし、そういうのぜんぶ含めて

幸せな気持ちが駆り立てていくらでも走れてしまった。

もちろん翌日は魔法がしっかり解けて

かなりの筋肉痛に見舞われていたけれど。。

 

どこを切り取って観てもビリビリ鳥肌が立ったり

あったかく包まれたり涙腺が常に決壊ぎりぎりで。

そんなのばっかりでもう本当にみんな最高だったな。

 

個人的ハイライトはスリマの風間君が最後に歌った

「売れないバンドマン」という曲。

保湿のためにとつけていたマスクで思いきり顔を覆って

こみ上げる嗚咽を押し殺してぼろぼろと泣けてたのはここだけの話。

あの日のあれは僕にとってはどうしようもない反則技だった。

 

そのあともぐるぐるとサーキットを回りつづけて、チーナが

この上ない多幸感に包み込んでいたアポロベイスでゴールイン。

その後の僕らは結果的に入場規制がかかってしまうくらい

沢山の人が見守ってくれていて、その視線の数だけ

幸せを噛み締めて歌わせてもらいました。

 

砂場って、たぶん手を上げて聴くような曲あんまりないし、

煽るようなこともしないんだけど、アンコールで歌わせてもらった

「手のなる方へ」で自然に客席からたくさんの手が挙がっていて

 たぶん初めてだと思うから、やっぱり嬉しくなってしまった。

  

そしてもうひとつ忘れちゃいけないこと。

こうやって僕がこの一日を駆け巡ることができたのは

手伝ってくれたスタッフの皆のおかげだった。

特にスタッフをまとめてくれてたゴーダくんは神のようだった。。。

正直最初、ここまで助けてもらうつもりでお願いしてなかったのだけれど、

僕の足りてないところを知らないうちに的確に補ってくれていて、

裸で戦場を走り抜けようとしていた僕にとっての防弾チョッキ、

もしくは台風の夜に立て付けの弱い所を補強して回る仕事人だった。

それくらい沢山の人が集まるエネルギーってすごいものだったし、

自分自身そのあたりの認識が甘すぎたから、いてくれなかったら

たぶん相当ボロボロだったと思う。ほんとうに助かった。

 

 

そもそもこの日を思い立ったのは去年のちょうど一年位前。

僕が歌う僕の歌にはきっと続く価値がある、と

そう信じて続けている音楽だけれど、

音楽も僕自身もやっぱり、きっといつかは死んでしまう。

それならばある日の思いつきでも何でも、

やりたいと思ったことは生きているうちに、動けるうちにやってしまおう。

結局突き詰めてみると、それが行動の根低の部分だった。

 

初めて言葉にしたのが去年12月の札幌、ame full orchestraの自主企画。

何があっても出る、とそのまま二つ返事で出演を決めてくれた彼らに

背中を押してもらって走り出してからの試行錯誤暗中模索、本当に長かった。

それでもたくさんの縁で繋いでもらって、ようやく円に出来たこのサーキットは

この日にしかできない最高の形だったと思う。最高な音楽で溢れてた。

 

バンドの主催とはいえ、他のメンバーが東京にいるから

この企画は名古屋に住んでいる僕がほぼ個人でやる形だった。

MCでも話したのだけれど、やってみてはじめてわかったことは

サーキット主催は想像していた何倍も大変だったってこと。

こうして終わってみて考えてみれば、あの日の僕の認識が

こんなにも甘かったからこそやろうと思えたとも言えるけれど。

 

多分、費やさなければいけなかった労力を100くらいだとして、

実際手元に返ってくるのは2か3くらいのもので。

でも、ここまで走り抜けることができたのは、

その「2か3くらい」がどうしても欲しいと思えたからだった。

 

この日にそれぞれの想いを寄せてくれた出演者の皆、お客さん達、

みんなが包んでくれた幸せの姿みたいなもの。

それが全部在ったあの場所にどうしようもなく救われたから、

生きていて本当によかったという言葉に尽きる。

 

Circuit世界の砂場から。

あの日の此処は、きっと世界で一番しあわせな場所だった。

だって僕はここしか知らないから。そしてここしか知らなくていい。

また会える日がきっとあること、心から祈ってます。

ありがとうございました。

 

 

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11.22「Circuit世界の砂場から」 砂場セットリスト

【ロックンロール】
影炎
いらないさがし
新曲1
新曲2
ラジオ

【アポロベイス】
思影
軌跡
旋律
黒い猫と白い猫
朝靄
ひとりきりでうたううた
en.手のなる方へ

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